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Blogger's Avatar  2017-6-24 17:09
暑かったり肌寒かったり,最近は全国的に気温が安定しない感じがします。こういう季節の変わり目は,自律神経が乱れがちで心身の調子も崩しやすいです。僕も,先日久しぶりに風邪をひいて結構大変でした。まあ,野口整体では風邪は身体をゆるめてくれるものと考えるので結果的には良くなるのですが,症状はやっぱりつらいですね。基本的には,リラックスできる時間をもつことを心がけるといいです。野口整体の考え方も少し関連しますが,今回は困難とスピリチュアリティについてです。
困難というのは,人間関係の悩みもそうですし,心身の症状なども指しています。スピリチュアリティというのは,日本語的には「霊性」と訳されますが,僕としてはオカルト的な意味であまり使っていなくて,人格的な成長の高まりによって心理的な高次の働きが自然に表れることを意味しています。物事を大所高所から見られたり,周囲の人に対して繊細な配慮ができたり,精神的に自立した生き方ができるなど,心の成長ということを目指すなら,多くの人が目指す要素が含まれていると言えます。成長したいと願っている人は多いと思いますし,ユング心理学の個性化の過程やその後のトランスパーソナル心理学の展開を見ても,人の心は成長する方向に向かうものだと考えられます。ただ,成長を強調しすぎると,何かの価値基準で進み向上することが義務のようになってしまい,成長していないことに焦ったり,成長した気になって優越感に浸っていたり,スピリチュアリティと言われるような次元からは遠くなりがちです。僕自身も,成長したいと思う気持ちはずっと持ってきましたが,いろいろ学んだり失敗して経験したりするうちに,心の成長というのが困難を乗り越えた結果として,いつの間にか自然に起こっているものだと理解するようになりました。

困難は,誰でも避けたいものですよね。もちろん,僕も例外ではありませんし,むしろ楽に生きたいと願っているぐらいです。でも,困難と向き合って乗り越えたときに,振り返ってみると成長していることに気づけたという経験を何度もしてきました。まだ仮説ですが,成長を望むほどに,ユング心理学でいう「セルフ」という心の核のような働きが,その時に合った成長のための課題を困難という形で,周囲や心身に共時的にもたらすのではないかと考えています。そのように考えてみると,僕自身やクライエントさんが成長してきたプロセスの絶妙さを説明しやすいのです。この絶妙さが,神なるものの働きとして感じられるのも自然な感覚だと思いますし,仏教で「仏性」と言われる高次の働きが人間の中にあるとされることも理解できます。心理学にせよ宗教にせよ,何かしらの高次の働きがあると感じられる現象を多くの人々が体験して,それを説明するのに様々な形があるという理解を僕はしています。僕は,ユング心理学やトランスパーソナル心理学を中心に理解していますし,宗教家は宗教的な理解をしています。共通するところもありますし,どれが正しいとかいうよりも,自分の感覚に合っていて,それで困難を乗り越えられたり成長していければいいと思います。

少し話題が逸れましたが,困難が心の成長やスピリチュアリティの高まりと関連が高いという話題を書くと,宗教的な理解とも合致しているというお話をいただいたりもするので,補足した感じです。僕は「自己成長」というキーワードをよく使いますが,やはり困難と向き合って乗り越えることで自然と成長を感じられるという意味合いもこめて使っていますし,「セルフ」の和訳である「自己」の働きによる成長という意味もあります。困難と向き合うということは,自分の中にあるトラウマを含む傷つきや見たくないネガティヴな側面と向き合うことでもあります。困難を乗り越えるプロセスは,過去や現在の自分を乗り越えるプロセスでもあります。その結果として,心の成長やスピリチュアリティを実感できるということだと思います。スピリチュアリティというと,ポジティヴな側面が強調されやすいように感じていますが,本質的には自分の中のネガティヴな側面に気づいて向き合い,それを受けとめたり乗り越えたりするプロセスがあってのポジティヴな側面と言えます。スピリチュアリティに関する誤解や勘違いが少なくなるためにも,こういった理解が広まることを願っています。臨床心理士としては,心身の症状が心の成長につながっていく見通しをもって,できるだけつらさや苦しさを緩和しながら,クライエントさんのプロセスに向き合っていこうと思います。

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