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Blogger's Avatar  2018-10-31 23:29
 最近の気温差に体がついていかないようで,ストレスも伴って風邪を長引かせてしまい,10月末ギリギリの更新となってしまいました。お待たせしてごめんなさい。まだ治ったわけでもないので,少し短めになると思いますがご了承ください。今回は,子どもの心に必要なことについて書きたいと思います。
 長年,非常勤で教育相談に従事してきて,ざっと考えると500人ぐらいの子どもを見てきたと思います。僕は子育てをしたことがありませんが,様々なケースを通して親子関係を見てきて,子どもとの関わりを通して実感してきたことは豊富にありますので,その中で感じてきたことを書いていきます。「子どもの心に必要なこと」と題しましたが,一般的には「愛情」ということでいいのだと思います。ただし,「愛情」というのは抽象的で,どのようにも解釈されてしまう側面があると感じています。極端な話,暴力でさえも「愛情」と結びつけられかねず,「愛のムチ」という言葉がありましたが,本来の意味と解釈の仕方が大幅にずれていってしまう危険性があります。

 僕の感覚を言葉にまとめると,シンプルに「心を向けて見てもらえている感覚」だと言えます。これは,子どもが感じられているということを中心に考える必要があり,それが子どもの育ち方に大きく影響していきます。もちろん,親を中心に周囲の大人が「愛情」をもとに「心を向けて」いくわけですが,「見てもらえている感覚」を子どもが感じられることが,子どもの心の栄養になっていきますし,情緒的・心理的に子どもが育っていくために不可欠だと考えています。何らかの形で虐待を受けてきたり,親の関わりが薄く愛情不足で育ってきた子どもが,例えば施設などで暮らす場合に,周囲の大人に「試し行動」をすることが多くあります。これも,「見てもらえている感覚」を得ようとする試みで,教育相談の臨床でもそれに近い行動をとる子どもがいます。

 思春期の反抗や問題行動でも,基本的には同じ側面があって,大人になる過程で「個」を確立しようとする過程で,「見てもらえている感覚」が不充分だと,やはり「試し行動」を行います。思春期の場合は,それまでの様々な傷つきが重なって複雑になっていて,親だけでなく周囲の大人にも広がるという点で,小さい頃との違いはありますが,心が求めていることは共通しています。親や教師など周囲の大人が熱心に子どものことを考えているように見えても,子どもの側に「見てもらえている感覚」が得られていないことも多くあります。それは,「大人の都合」が入っている度合いによると言えます。親や先生が熱心に見えても,その裏に「良い親(先生)に見られたい」といった願望の方が強いと,子どものためにいろいろやっていても「見てもらえている感覚」にはなりません。むしろ,子どもの方が「見てもらえていない」という傷つきを深めていきます。もちろん,100%大人の都合が入らないというのは難しいので,自分がどのように「大人の都合」で動くのかを,無意識レベルで気づいていくことが大切だと思います。

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